読む西利
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インタビュー西利のひと
漬物屋が農業をはじめた理由とは? “西利ファーム設立秘話”
西利では、漬物の原料となる野菜を、京都を中心に全国約90ヵ所の契約農家さんと二人三脚で育てています。
その産地のひとつである京都府京丹後市には、西利の直営農場「農業法人(株)京つけもの西利ファーム」(以下「西利ファーム」)があります。
2006年に設立した「西利ファーム」。その誕生の背景には、安心安全かつ高品質な漬物をお客様のもとへお届けしたい、という西利の漬物づくりに対する「こだわり」がありました。
小売を生業としていた西利が、なぜ農業をはじめたのか? 野菜を育てる価値とは? そして、今後の農業の在り方とは? 西利ファームの設立秘話を通じて西利の漬物づくりをご紹介します。
なぜ漬物屋である西利が農業をはじめたのか?
西利ファーム設立当時、その中核を担っていた生産管理部の古川部長。69歳になる現在も、地元の農家さんと関わり、野菜づくりに向き合い続けている。今回、設立当時のお話を伺いました。
ーさっそくお聞きしたいのですが、西利ファーム設立のきっかけは何だったのですか?
おお、それはな、当時の社長(現会長)が先代の想いを引き継いだあるエピソードがあるんや。
ーそれはどのようなエピソードですか?
こんな話を聞いたことがある。今から30年ほど前、漬物屋を舞台にしたテレビドラマが放映されて、千枚漬が飛ぶように売れた時があったんや。当時、西利では原料となる蕪(かぶら)を契約農家から仕入れてたんやけど、12月初旬になると注文が殺到して、原料が不足する状況になってしもた……。もちろん、中央卸市場で蕪は売られていたんやけど、当時の社長(現会長)は「たったひとつの蕪でも、市場からは仕入れたらあかん!」って言いはったんや。
ーそれはなぜでしょうか? 原料の野菜がないと漬物は作れませんよね。
当時の社長(現会長)には、目先の利益を追求するんじゃなくて、業界全体で京漬物のブランド価値を高めていこう、という想いがあった。京都の漬物店の中には、市場から原料を仕入れているところも少なくなかったんや。ましてや、千枚漬は京都の伝統食、西利だけのものじゃない。地域社会との調和を大切にすることで、守ることができる食文化がある。
千枚漬は、京都の冬の味覚を代表する漬物
ー京都では千枚漬に限らず、さまざまな伝統的な食文化が受け継がれてきましたね。
食文化には「変わるもの」と「変えてはならないもの」がある。西利は、その「変えてはならないもの」を守り続ける一方で、食の安全・安心、安定した供給の確保など時代ごとの顧客ニーズを取り入れた新しい漬物づくりに挑戦してきたんや。
ー近年、消費者の中でも、とくに食の安全・安心についての関心は高まってきてますね。
そのような顧客ニーズに対して、西利がどのような役割を果たせるのか。そのひとつの答えとして西利ファームの設立があったんや。
ーなるほど。西利ファームを設立することで、野菜の品質管理や安定した原料野菜の供給ができるようになったわけですね。
それに京都府からの要請を受けて、「農業公園 丹後あじわいの郷」に隣接して「西利あじわいの郷工場」を建設したことも大きなきっかけになっている。
1998年4月に開園された「農業公園 丹後あじわいの郷 ※1」は、京都府が京丹後の豊かな自然を生かそうと、農産物を取り扱う企業を誘致した取り組みのひとつ。しかし当時の京丹後は、交通の弁が悪かったため、農場や工場を進出させるメリットがないと感じる企業が多く、当時、誘致を引き受けたのは西利だけだった。
※1 農業公園「丹後あじわいの郷」:現在は、道の駅「丹後王国 食のみやこ」
ー「西利あじわいの郷工場」の建設と西利ファームの設立には、どのような関係があったのですか?
生産地の近くに工場があることで、必要な量だけの野菜を収穫できる。店舗と連携すれば、賞味期限切れや在庫品などの廃棄量削減にもつながる。つまり「6次産業化(※2)」の取り組みに挑んだわけや。
※2 6次産業化:農業などの1次産業が2次産業(製造業)、3次産業(小売業)にも取り組み、加工品の製造、販売までを行うこと。1次×2次×3次=6次産業化。
ー食品会社が6次産業化に取り組むメリットは何ですか?
西利の場合は、販売者が逆行して材料の生産を行っているケースやな。このかたちのメリットは、市場で売れるものが初めからわかっているという点にある。消費者を起点に考えることで、作ったものが無駄になるということを避けられるし、そのぶん利益にも結びつく。
ー6次産業化は、成功事例が少ないという話を聞いたことがあります。
西利の6次産業化は、京都府と連携して行った取り組みやった。農地の開拓、工場の建設、従業員の雇用などさまざまなハードルを、行政と企業が共通の課題として手を取り合えたことが大きい。6次産業の完成モデルとして、別の自治体から視察が入ったこともあったね。
ー当時では、先進的な取り組みだったわけですね。
今となってはそう思えるけど、西利と京丹後の農家さんとのつながりは30年以上。その土台が西利ファームの設立には不可欠やった。なにも初めからうまくいったわけやないよ。
「西利ファーム」の聖護院かぶらの畑。
研究施設としての西利ファーム
ー西利ファーム設立は順調に進んだのでしょうか?
生産管理を行なっていた自分が言うのもおかしな話やけど、西利の野菜は味や品質にばらつきがないように規格が厳しい。その規格を農家さんに求めても、最初はなかなか理解してもらわれへんかったんや……。
西利ファームで育てられた西利限定栽培「あじわい蕪」。きめ細やかな肉質と上品な甘さが特徴。
ー西利規格の良質な野菜づくりには、どのような工夫をされているんですか?
それは日々の「手間ひま」に尽きる。こまめに天気予報をチェックして、傷がつかへんように防風ネットを取り付けたり、気候に合わせて追肥(植物の生長に合わせて肥料を与えること )をしたりな。ただそれは農家さんからしたら、とても手間のかかる作業なんや。
西利ファームで育てられている大根。大根は1日で1cmも太く成長することがあり、収穫時が難しい。
ー農家の方は、長年の工夫と経験の上に農業を営んでこられていますし、西利の規格を求めてもなかなか応えてくれなさそうですね……。
せやから、当時の僕は、仕事が終わったら農家さんのお宅にお邪魔して一緒に晩御飯を食べたりして、人と人の関係性を大事にしたんや。そういう地道な付き合いが功を成して、少しずつ理解を示してくれる方がでてきた。
ーそれは古川さんらしいエピソードですね(笑)。
大根が順調でも蕪の調子が悪かったり……。うまくいかない時でも、僕の「こうしてみようか?」という呼びかけで農家さんが動いてくれた時は、ほんまに嬉しかった。今では、西利の想いに応えてくれる契約農家さんが、西利を支えてくれている。彼らは取引相手というより「仲間」という呼び方の方がしっくりくるね。
ーとはいえ、常に同じ品質のものを作り続けるというのは至難の技ですね。
自然が相手やし、決まった育て方がないんや。京丹後は自然豊かな土地ではあるけど、夏は日差しが強いし、冬は収穫できひんくらい雪が積もることもある。それに日本海に面しているぶん、京丹後ならではの季節風と時雨もある。決して恵まれた環境とは言えへんよ。
ー異なる気候の変化に対応するのは、大変そうですね……。
毎年、同じやり方は通用しないからこそ、常に研究と試行錯誤をしないと失敗するんや。そんな苦労まで農家さんにさせるわけにいかへん。だから、西利ファームには研究施設としての役割もある。トライ&エラーから得た知識や技術を農家さんに共有する役目やね。
ー西利ファームは、農家さんの苦労も理解する場でもあるのですね。
そう。でも、野菜づくりは失敗するから面白いんや。変な考え方かな?(笑)
ーなぜ、西利ファームに対してそこまで情熱を燃やせるのでしょうか。
やっぱり「京丹後でしか作れない野菜」があると示したい。京丹後の野菜は日本一! そう自分に言い聞かしてる。そうでないとおいしい野菜は作られへんよ。
古川をはじめ、全国の契約農場では、西利の産地開発スタッフが契約農家の畑と工場をつなぐパイプ役として活躍している。
京丹後から全国の農業に活気を
ー西利ファームの今後について、お考えはありますか?
京丹後に限らず、今は農業を取り巻く状況は厳しさを増している。高齢化による人手不足の問題や、海外からの安価な野菜の輸入のために農家の収入が減少したりな……。
農林水産業「農林業センサス」を元に作成
ー農家さんが、この50年足らずで5分の1以下まで急激に減少していますね。
後継の問題や要因はいろいろあると思う。僕は、西利ファームはそういった状況のなかでも、京丹後の農業を活性化させる流れの一端を担えればと思っている。ファームで取り組んできた野菜づくりのノウハウを普及させることは、京丹後地域の農業の発展にも、きっとつながるんとちゃうかな。
ーファームは京丹後における雇用の創出と、農業のノウハウの普及を担っているんですね。
最近は、西利ファームで農業をしてくれる若手が少しずつ増えてきたんや。僕らも刺激になるしね。
—西利ファームは京丹後の農業と強く結びついているんだと感じました。
西利はずっと漬物の原料となる野菜を大切にしてきた。これは当時の社長(現副会長)の言葉やけど、技術がどれだけ発達しても、素材は絶対に尊い。そのことを現場の僕らが忘れたらあかんな。
—ありがとうございました。
西利が契約している若手農家の方
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