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インタビュー
着物ユニフォームの仕掛け人 市田ひろみ先生が語る”日本の伝統”
着物の今とこれから
京都は「着物の街」といわれるように、日本有数の産地であり、着物と深く結びついた日本文化や儀礼が息づく土地でもあります。西利の販売スタッフが着用しているユニフォームも、着物にエプロン、足もとは草履という和の装いです。
実はこのユニフォームの発案者は、服飾評論家の市田ひろみ先生。
着物があらためて注目される今、市田先生に「ユニフォーム誕生秘話」「現代の着物文化」、そして着物と漬物の共通項である「日本の伝統」についてうかがいました。
【お話をうかがった人】
市田ひろみ先生
服飾研究家、エッセイスト、日本和装師会会長。OL、女優、美容師を経て、服飾評論家として全国各地で講演、海外では文化交流を行う。長年着物の研究と普及、着付けの指導に携わり、2001年着付技術において厚生労働大臣「卓越技術者表彰」受章。’08年にはG8洞爺湖サミット配偶者プログラムで十二単衣の着付けを披露。 世界の民族衣裳を求めて世界を旅し、膨大なコレクションを持つ。
機能性を備えた「働き着」としての着物の開発
ー市田先生は和装に関する様々なお仕事をされていますが、どのような経緯で着物のユニフォームを手がけられることになったのですか?
昭和50年代、私は一般の方向けに二部式着物を展開していたんですね。平成になり、それがようやく定着したかなという頃に、先代からおつきあいのあった西利さんの当時の社長(現会長・平井義久)から、「みな着物を一人で着られへんし、なんぞええもん提案してえな」と言われたのがきっかけです。
※二部式着物:腰の位置で衣が上下に分かれた、着脱の容易な着物のこと
ー「なんぞええもん」と言われ、どんなことが思い浮かびましたか?
初めは軽い気持ちでしたし、今のように全国に広がるものとは思ってもみませんでした。
ただ、現会長は、最初から「働き着」について、しっかりとした考え方をお持ちで、私の考えとほぼ一致していたんです。まず着脱が簡単で一人で着られること、京都やから和のイメージであること、それが基本にあり、そこからどんな体型の人も着られるようにするとか、スタッフやお客様のことを思いながら話し合いを重ね、何枚もデザインを描いて今の形になりました。
ー色や柄について大切にされたのは、どんなことですか?
「働き着」というと紺や紫と思われがちですが、誰が着てもかわいい、今着られる小紋として色や柄を考えました。でも、あくまでも主役はお漬物。「かわいい」といっても、売場と販売スタッフ、ユニフォームがぴったりと調和してこそ。環境がつくりあげる「かわいさ」を大切にしました。
西利本店の売り場の様子。
ーたくさん種類があるのですね。
これまで50種類以上はあるんですよ。毎年いろんな色や柄が出るなかから、私が選ぶんです。今、若い方の洋服ではパステルカラーが流行っていますが、ちょうど着物の世界でも同じくパステルカラーが人気なんですよ。柄も古典的なものだけではなく、現代的なものを取り入れてみたり。好みというのではなく、時代性や着る人のことを考えたり、顔映りの良いもの選んだりしています。ただし、全国どこの売場でも西利さんとわかるように、エプロンと三角巾は統一しました。
ー着る人の声を聞き、機能面も考えてデザインされていますね。
働く時に無理のない袖丈には一番気を使いました。簡略化しすぎて、着物から離れてしまってもいけませんから……。それから、エプロンに伝票やペンを入れられるポケットを付けたのが好評でしたね。まくりやすく、中が見えないよう袖口にゴムを入れたり、エプロンにタックを取って体型を隠すなど、女性の立場からの工夫も入っています。
【左】エプロンに伝票やペンを入れられるポケット。【右】腕まくりができる袖口。
ー男性のユニフォームは法被と前垂れ。かっこいいですね! 先生が監修をされたのですか?
はい。商家の前垂れというのは京都の特徴的なもので、江戸時代からこの前垂れにお店や代表的な商品の名前を付けていたんです。呉服屋さんや漬物屋さん、問屋さんなど和のお店では、昭和の初めまで男性の社員は藍染の着物のユニフォームを着ていて、それは「お仕着せ(おしきせ)」と言われていました。昭和7、8年頃から洋服に変わりますが、西利さんのユニフォームにはそのお仕着せのイメージを残しています。
【左】現在のユニフォーム【右】昭和頃の働き着(KBS京都テレビドラマ『塩かげん一代』より)
ー西利のユニフォームは、2005年に和風ユニフォームコンテストの最優秀賞を受賞し、全国の売場でスタッフが着用しています。
工夫次第でどんな気候にも対応できるように作りましたが、実際に全国で同じものを着ている企業は珍しいのではないでしょうか。
ー このユニフォームが着たいからという理由でアルバイトに応募する人もいます。西利のユニフォームは、若い人が初めて着物に接点をもつ機会にもなっているんですよ。
私が女子大学で教えていた時も、着物を着たいから天ぷら屋さんでアルバイトをしているという学生がいましたね。
ー 若い人の「着物を着たい」というモチベーションに関しては、どう感じておられますか?
気持ちはあるのに、誰かが縁遠いものにしてしまったんやな、という思いはあります。着物を着るならこれを買わないといけないとか、複雑にしてしまったんですよ。
開放的でありつつ孤立性を。「伝統」をどう防衛するのか?
ー どうすれば、現代の人でも気軽に着物に接することができるようになるでしょうか。
業界の人も悩んでおられるところです。「着物を着て行くところがない」という方が多いのですが、場所ではなく、手間の問題だと考えています。着付けが簡単にできれば行くところはたくさんあるのではないでしょうか。だからこそ、何かを簡単にしてあげないといけない。
ー 市田先生は、現在の「着付け教室」の先駆者ですが、和装業界をどのように見ていますか?
今でこそ、着付け教室の存在が理解されてきましたが、長い間、業界からは「勝手にやってはる」と思われてきたんです。ただ、ある着物屋さんが「着付け教室がなければ、もっと早くに着物は滅びていた」と言ってくださり、その言葉は励みになりましたね。
ー 一方で、現在の京都には、レンタル着物を着た観光の方がたくさん歩いています。とくに中国や韓国などアジアの方が利用している印象ですね。世界の民族衣装を研究・収集されるなかで、先生はこの状況をどう捉えていますか?
賛成不賛成は別として、ある大学の先生がおっしゃるには、中国の方にとって着物は「呉服(ごふく)」として、絶対的な憧れの対象になっているのだそうです。三国志の「呉の国」から伝わったという考え方があるんですね。
ー なるほど。着物は中国が発祥なのですか?
日本か中国かということではなく、最初は自然発生的に生まれた原始的な衣服が、土地ごとの風土に適応したり、働きやすいように襟が付いたり袖が付いたり、そうして進化してきたものだと思います。
ー 日本の着物は世界からはどう見られているのでしょうか。
世界108都市でショーを催してきたなかで、以前は「ビューティフル」「ワンダフル」だったのが、近年は「リスペクト」と言われるようになりました。尊敬の対象に変わっているんですね。洞爺湖サミットでブッシュ大統領のローラ夫人も、おっしゃっていました。
フィレンツェ「ヴェッキオ宮殿」での着物ショーの様子。
ー どういうところが「リスペクト」されるのでしょう?
作り方、着方、どちらもです。誰もができるわけではなかったり、手間がかかったりするからこそ価値があるという側面もありますね。
ー 一方で、その手間が着物を日常使いするハードルになっている、と……。伝統文化を後世に残していく上で、先生はどのようなお考えをおもちですか?
伝統を守るというのは難しいことなんです。人間はね、楽なほうにいくんですよ。今、日本人の基本になるものの多くは、天皇家が守ってこられています。1月1日から毎日儀式を続けるなんていうのは、庶民にはとてもできないことです。伝統を継ぐには、相応の覚悟と絶え間ない努力が必要です。天皇家第一礼装は十二単衣ですが、世界中のロイヤルコスチュームのなかでも1000年以上もの間、形が変わらないのは日本だけなんです。その着付けについての書物はあるものの、順序はすべて書かれていなくて「よく考えるべし」とある……。
二条城での十二単衣着装体験の様子。
ー 誰でもすぐに真似できるものではないんですね。
そうです。あまり開放的になって全員が着てしまったら、孤立性がなくなってしまうわけですね。だから、そういうふうに防衛しながら、今日まで続いてきたのが伝統だと思います。
ー 漬物を含む「和食」も、日本の伝統文化の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されました。喜ばしい反面、先生がおっしゃったように「守らなくては失われてしまう」という側面があると感じています。市田先生は、こうした現状に対して、教育の現場からも働きかけておられますね。
不思議なことですが、日本の義務教育において華道や書道に触れる機会はあるのに、着物に接する機会はなかったんですよ。2002年頃、日本文化を教育に取り入れようという動きが活発化し、紆余曲折あって、今は全国に学校教育国民推進会議をつくり、中学3年生を対象に浴衣に触れる授業を行なっています。これもやっとの思いで実現しました。文部科学省の方でも着物を着たことがない人が多かったのですからね。その価値を伝えていくのに苦労しました。
ー 着物をリスペクトする海外と、国内の反応には距離を感じますね。
海外でのショーのことですが、日本の伝統的な結婚式を着付けから見せていくと、ある移民の方が涙を流されて「守ってくださいね」とおっしゃられたのです。伝統が守られていくことの大切さを痛感しました。
ワイキキで開催される国際親善を目的とした祭典「まつりインハワイ」でのひとコマ。
世界を旅してわかった、漬物があることのありがたみ
ー さて、食についてもお伺いします。先生は漬物はお好きでしょうか。
大好き(笑)。和食の最後に出ますが、最近は洋食の最後にもいただきます。やはり日本人は日本人の味覚をもっているんですね。
ー お好きな漬物はありますか?
西利さんのあっさり漬大根は美味しいですね。あと千枚漬、壬生菜、しば漬の刻んだものが好き。
ー 先生も西利の味に親しんでくださったのですね!嬉しいです!
西利さんとは初代社長の時代から半世紀以上のおつきあいになりますからね。代々伝統を重んじられながらも進化していかれたと感じています。今や京都の人にとっては日常の景色になりましたが、西本願寺前という場所にあれだけのお店を構えられたのも、企業努力と信頼あってのこと。脈々と守る方がいるからこそ、「京つけもの 西利」の伝統が続いているのだと思います。
ー 海外に行く時にも、何か日本の食事を持って行かれますか?
必ず持って行きます。お漬物のほかに自分でつくった蓮根のピリ辛などを持参します。以前、袋に入れてスーツケースに詰めておいたら、気圧のせいでパンパンに膨れてしまって。それ以来、ガラス瓶に入れて持って行くようにしています。取材に回っていると、現地の奥さんたちは瓶が欲しいから、私は中身を食べてはそれを置いて行く。取材するうちに荷物がどんどん軽くなるんです。
ー ご飯も持って行かれるのですか?
アルファ化米を持って行きます。熱湯を入れるとお茶碗2杯分になるので、キリマンジャロを見ながら食べたりね。町に行くときは、おにぎりをつくってお漬物と一緒に持って行きます。現地の方は、「何を食べているんだろう」って集まって来はるんです。
ー いろんな土地でご飯とお漬物を召し上がっておられるのですね。
そうですよ。民族衣装の研究を目的に世界を周りましたが、今も衣装が残っている地域は、多くの場合、危険なわけです。西洋化や利便性というものに対して、ある種の抵抗の上に、伝統的な衣装を残しているんですね。日本の衣食住も欧米化が進みましたが、こうしてお漬物を楽しむ暮らしが残っているというのは、本当にありがたいことだと思います。
ー 漬物があるとホッとできますか?
日本だけでも地域ごとのお漬物があって、それぞれの舌に馴染んだ味があります。お漬物は食のなかでも、付け足しではなく今や主役級の重要なパートではないでしょうか。だって、ホッとするという意味では、どんなご馳走も、食事の最後に出てくるお漬物には勝てない、そう思いますから。
ー 市田先生、本日はありがとうございました。
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※季節によって販売していない場合があります。