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インタビュー
日本史学者が語る“京漬物の歴史” ー禅宗とのつながりー
京漬物にみる、ニッポンの食文化の変遷
山紫水明の土地が育んだおいしい京野菜と、これをさまざまな知恵と技で漬け込んだ「京漬物」は、日本を代表する食文化のひとつ。漬物自体もまた、世界無形文化遺産に登録された「日本の和食」を構成する重要な要素でもあります。
漬物はいかにして生まれ、日本の食卓に欠かせない存在となったのでしょうか? その上で、千年の都・京都が果たした役割とは? 知るほどに奥深い漬物の歴史を、日本史学者の上田純一先生に教えていただきました。
【お話を聞いた人】
上田純一先生
日本史学者・京都府立大学和食文化研究センター特任教授、名誉教授。文学博士。同大学において、和食文化を担う人材の育成や和食文化に関する研究を行う「京都和食文化研究センター」に所属し、2019年度設置の和食文化学科で教鞭を執る予定。専門は、中世禅宗史、日中文化交流史。近年の共編著に『京料理の文化史』(思文閣出版)、論文に「修験道と和食」(『和食文化研究』創刊準備号)などがある。
ー 本日はよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。
ーさっそくお聞きしたいのですが、京漬物が一大ブランドになったのは、京都に都があったことも関係していると思います。平安時代では天皇や貴族たちも漬物を食べていたのでしょうか?
もちろん食べていましたよ。原始時代、海水で食品を塩漬け保存したことに始まるとされる漬物が、初めて記録に登場したのは奈良時代のこと。平安時代になると種類も大幅に増えました。当時の宮中の儀式や年中行事を記した『延喜式(えんぎしき)』(905〜927年)では、儀式の宴に使われた春と秋の漬物として約50種類が挙げられています。
ー 平安時代に、すでにそんなに多くの漬物が! どんな種類があったのでしょうか。
素材は瓜やなす、青菜、かぶ、大豆のほか、わらび、せりなどの山菜や野草もありました。現代人からすると、ちょっと驚くかもしれませんが、桃や柿、梨などの果物も漬けられていました。最近、果物を漬けたフルーツピクルスが人気だそうですが、平安時代に近しいものがあったんですね。当時の漬け方は塩漬を中心に、ひしお漬(醤油の原型)、かす漬(酒粕)など。珍しいものでは、ニレの樹皮を粉にしたものを塩漬に加えた、「葅(にらき)」も。実にバリエーション豊かでした。
ニレ科ニレ属の秋楡(アキニレ)
当時のニレの皮が現在のニレ科の植物と同様のものかは不明であるが、樹皮の粉がぬか漬けでいうところの「ぬか」の役割を果たしていたと考えられています。
ー 樹皮の漬物とは一体どんな味がしたのでしょうか……ロマンが広がりますね。当時の漬物は一般庶民も食べることができたのでしょうか。
いえいえ、とんでもありません。当時の漬物は超がつくほどの高級品。内陸の京都では、塩は遠く離れた沿岸部から運んできた貴重品なので、天皇や貴族、役人など一部の階級の人しか食べることができませんでした。
ー ところで、京都三大漬物のひとつ「しば漬」が生まれたのも平安時代だそうですね。こんなに長い歴史があるとは知りませんでした。
大原は今も昔も「赤しそ」の一大産地です。これについては面白い逸話が残っています。平安時代後期のこと、壇ノ浦の合戦で唯一生き残った平家の建礼門院(1155〜1214)がこの地に隠棲し、村人からの献上品であった「しば漬」を気に入ったことから、その名を付けたという伝説です。
また大原の三千院の高僧・良忍(1072〜1132)が、この土地でしば漬を完成させたという説も要注意です。インターネットでも散見しますが、どうも江戸時代以降に生まれた話で、歴史学者のなかでは根拠がない俗説だとされています。
赤しその一大産地、大原の風景。
禅宗伝来。精進料理が日本の食文化に革命をもたらす
ー 漬物は日々の食事はもちろん、禅宗の精進料理に欠かせないイメージがあります。どのような経緯で、こうした認識が広まったのでしょうか?
漬物の話に入る前に、精進料理の歴史からお話しましょうか。菜食を促す「不殺生の戒め(生き物を殺してはいけないという教え)」は、日本に伝わった仏教全般に通じる教えです。そのため仏教とほぼ同時期に、菜食の文化が伝来しました。ただし、当初の精進料理は清少納言も『枕草子』で酷評するほど、「粗末でまずい料理」だったようです……(笑)。やがて、13世紀に禅宗が伝来して以降、植物油や小麦粉を使った中国禅宗の調理法も一緒に伝わりました。これにより料理の質や種類、味わいが格段に進化したんです。
ー てっきり禅宗が精進料理を伝えたのだと思っていました。菜食には長い歴史があったのですね。
日本における精進料理の発展に寄与したのが、中国で禅を学んだ曹洞宗の開祖・道元(1200〜1253)です。禅とはそもそも「自分の心を整え、物事の真実の姿を見極めていく姿勢」を重視します。そのため、日常の行いのすべてが修行とみなされました。なかでも道元は、料理や食事を含む食の重要性に気づき、「食(じき)とは、すなわち仏道」と説いたのです。
1244年に道元が開山した曹洞宗の本山・永平寺。
ー 道元が開いた永平寺は、今でも精進料理で有名ですね。
じつは道元は最初、食にまったく興味がなかったんですよ。道元に限らず、当時の日本仏教は食をほとんど重視していませんでした。ところが、道元は中国に渡り、食事が修行の根本になることを知り、カルチャーショックを受けたんです。そして帰国後すぐに、食の大切さを伝えた日本初の論書『典座教訓(てんぞきょうくん)』と『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』を著しました。
ー なるほど。日本人が食に目を向けるきっかけとなった画期的な出来事だったのですね。どんな内容だったのでしょうか。
『典座教訓』の「典座(てんぞ)」は、修行僧の食事を司る要職の名前で、その典座が行うべき責務を説いたものです。たとえば、食材という恵みや命に感謝し、野菜の根っこまで余すことなく調理をする、整理整頓を心がけて道具を大切にする、手順をおろそかにせず食べる人の立場に立って調理するなど、現代人の食事作法や美徳にもつながる内容を体系的にまとめました。
一方、『赴粥飯法』には食事をいただく修行僧の心得が記されています。精進とは「一生懸命に心を尽くす」という意味。精進料理は、心をこめた料理の結晶でもあったのです。
ー 自分たちの普段の食生活を振り返り、思わずはっとしました……。道元の精神は、京都の家庭料理「おばんざい」にもきちんと受け継がれていますね。私たちも母や祖母から、「始末の料理」の大切さを教わりながら育ちました。ところで、「健康食」という発想もこの頃に生まれたのでしょうか?
その通りです。禅宗以外、たとえば浄土宗などの仏教の教えが来世の救済を仏に祈ることを旨としていた「他力本願」であったのに対し、禅宗では現世で悟りを開く、己自身の修行に重きをおいた「自力本願」でした。つまり、ほかの宗派と異なり、禅宗は今(現世)を生きることに重きをおいたため、まずは健康に暮らすための体づくりが必要となり、食に対する世の価値観を根本から変えたのです。そして、野菜や大豆、海藻などをバランスよく用いながら、栄養価に優れた食事を生み出しました。
ー 来世と現世、教義の違いが食文化を変えたとは驚きです。世間の人々にも、さぞ大きな影響を与えたことでしょう。
精進料理が一般に広まったきっかけは、もうひとつあります。それは当時主流だった「もどき料理」。もどきは「似せて作る」の意味で、大豆や野菜を使い、禁忌である肉や魚の見た目や食感を鮮やかに再現したのです。大豆製品の「がんもどき」も、そもそもは雁の肉に味を似せたもの。当時の公家や町衆、京に上った地方の役人たちは「きじ焼き」「たぬき汁」など、本物そっくりに作られた料理に度肝を抜かれたようです(笑)。今でも黄檗宗など中国の禅宗寺院には、この調理法が残っていますね。
ー もどきの発想は、枯山水庭園や盆栽に用いられる「見立て」の発想にも似ていますね。たいへん興味深いです。
そろそろ本題の漬物と精進料理の話に……。禅僧の修行道場では、殺生は当然禁じられていますし、冬場の食料不足は深刻。そのため、保存食としての漬物が欠かせないものになったのです。畑での野菜の生産も盛んになったようです。また、当時の禅寺の定番漬物のひとつが「梅干し」。殺菌・防腐効果があることは古くから知られており、後の戦国時代には武士の携行食にもなったんですね。
室町時代から江戸時代の過渡期、16世紀に制作された『酒飯論絵巻』の複製『紙本著色酒飯論図 1巻』「国(文化庁保管)」。酒好きと飯好きが自説を展開して優劣を競う物語で、飯好きの僧侶が描かれています。
同絵巻では、調理から配膳、飲食の様子が詳細に描かれており、当時の食文化を知る貴重な資料となっています。
禅宗の食事は、なぜ漬物でシメるのか?
漬物が現代の食卓に欠かせない存在になっていく過程に、千利休が大成した茶の湯の影響もありますね。禅宗に深く帰依していた利休は、精進料理に着想を得て茶事のための「懐石料理」を発案しました。当時の茶会記に献立が記されているのですが、必ず最後に「香の物(漬物)」がふるまわれているんですよ。この懐石料理が、後の宴会料理である「会席料理」や、一汁三菜に代表される日常の食事の成立に大きな影響を与え、漬物も欠かせない存在となっていったのです。
ー 懐石料理と聞くと、高価で特別な日の食事という印象を受けますが、精進料理に着想を得ているのですね。
利休が懐石料理を考案する以前に、本膳料理というもっとも格式の高いおもてなしの料理がありました。懐石料理は本膳料理を簡素にしたもので、本来は質素なもの。「懐石」という言葉も、中国の禅僧が、温めた石を懐に入れて空腹に耐えたという故事にちなんで名付けられたといわれている通り、「わずかに空腹を満たすほどの食事」という意味があります。
ー 懐石料理を通じて、利休は何を伝えたかったのでしょうか。
先ほどもふれましたが、禅宗では日常性を大切にしています。たとえば、この世界や宇宙のことを学ぶのに宇宙に行く必要はなく、道端の一輪の花を眺めればいい、と。利休は禅宗や精進料理のこうした精神を追求し、茶道や懐石料理に取り入れました。簡素であっても中身にこだわったり、四季や旬を大切にしたり、あるいは亭主が客人をもてなす気持ちこそが大切であると伝えたかったのでしょう。
ー 今でも茶席で供される「茶懐石」は、質素な食事を簡素な茶室でいただきますね。
利休が建てた簡素な茶室もまさにその哲学を反映したものであり、前代の四畳半の茶室を三畳、二畳、最終的には一畳半にまで狭めてしまった。茶室に入る人間の数が変われば、広さの感じ方も異なりますよね。世の中の物事は、すべて相対的であり、絶対的なものは存在しないというメッセージなんです。利休が考案した懐石料理も茶室と同様に簡素を極め、同時に高い精神性を付与したのです。本当のおもてなしとは何か、豪華さの対極にある質素さのなかにその価値を見出すわけです。
ー それが今や日本の心と強く結びついた食事の価値観をつくるわけですね。食事のシメとなる「ご飯と漬物」の組み合わせは、しみじみと体にしみわたり、「ああ、日本人でよかった〜!」という気分になります。
この不動の組み合わせを広めたのも、精進料理や懐石料理です。どちらも食事の最後に飯碗に湯を注ぎ、残った米粒を香の物でぬぐってうつわを返す習慣があります。食器を洗う手間を省く、最後のひと粒までお米を大事にいただく、亭主への感謝を表すなど、さまざまな意味がありますが、私はこれを「食事を完結させる」ために必要なささやかな儀式だと感じています。たかが副食、されど副食。漬物が担う役割は非常に大きいのです。
ー 今でも京都の上の世代の方は、飯碗にお番茶を注ぎ、漬物で米粒をぬぐっていらっしゃいますよね。その姿から私たちも「食べ物を大切にする」という姿勢を自然と学んだものです。
花の江戸でも、「京もの」ブランドは色あせず
ー 高価だった漬物が庶民に普及するのは、いつごろなのでしょうか。
漬物が広く庶民に食されるようになるのは、戦乱の世が終わり、天下泰平の時代を迎えた江戸時代。庶民の生活が豊かになることで、次第に野菜や調味料の種類も増え、都市部では「香の物屋」が繁盛しました。
ー 「ぬか漬」や「たくあん漬」が誕生したのもこの時代だそうですね。
ぬか漬は漬け床が再利用できるので、漬物の普及に大きな役割を果たしました。また、漬物の専門書や指南書も多数発行されるほどだったので、江戸時代に漬物が大衆化したことがよくわかります。専門書のなかでも最も有名なのは、江戸の漬物問屋が天保7年(1836)に著した『四季漬物塩嘉言(しきつけものしおかげん)』ですね。64種類のレシピが載っています。この頃、ほぼ現在と同じ漬物が作られるようになりました。
ー 当時の京漬物はどんな状況だったのでしょうか?
もちろん、京の市中にもたくさんの香の物屋が誕生しました。古い文献でもその人気ぶりを確認できます。とくに上賀茂産の「すぐき漬」は大変な人気で、専門店が生まれたほど。政治や商業の中心は江戸でしたが、このすぐき漬や壬生産の水菜漬は、江戸でも高い名声を誇っていたそうですよ。
ー 「京もの」への憧れは当時からあったんですね! 京都は、やはり文化と技の中心地だったのだと実感します。
幕末には、京都で「千枚漬」も誕生します。真っ白なかぶらの色や上品な味わいは、京ものの洗練を伝える最たるもの。今なお、冬の風物詩として高い人気を誇っていますね。
「千枚漬」は、職人が聖護院蕪を大型のカンナで薄切りにし、樽に千枚以上の蕪を漬ける事が名前の由来になっています。
ー 今日は、漬物という食文化について教えていただきましたが、上田先生ご自身は、京漬物の歴史を学ぶ魅力はどんなところにあるとお考えですか?
歴史を遡るたび、当時の漬物が今以上にバリエーションが豊かであったことに、私はいつも驚かされています。保存技術や素材も十分でない環境で、先人たちは知恵と工夫の限りを凝らして野菜や木の実、果物、土地によっては魚や肉の漬物までをも発展させてきた。生き延びるためとはいえ、先人たちはとても自由な発想の持ち主だったと思います。西利さんも含め、最近では先入観に縛られないさまざまな漬物が増えていますが、じつは古くに存在していた漬物であることも少なくない。そう思うと、現代の京漬物もまだまだ発展の余地があるのではないでしょうか。豊かなアイデアの新しい漬物に出会えるのが楽しみです。
ー 上田先生、本日はありがとうございました。
記事内に登場した漬物をご紹介